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ARTIST 12
自然も心も、影があるから光が美しい。碧木莉歩『想いの消息』から始まる、穏やかで熱を秘めたピアノの旅
2025.06.19

撮影:伊藤健太
木漏れ日で揺れる影が美しいように、自然の美しさの中には、その光を際立たせる影の要素が共存している。それは喜びや悲しみ、そして言葉にならない感情を含めて混ざり合う「人間の心」も同じではないだろうか。
そんな光影の中を泳ぐように音を紡ぐピアニスト、碧木莉歩。新潟の自然豊かな風景に囲まれて暮らし、中南米のネオ・フォルクローレなどに影響を受けたそのピアノは、穏やかさの中に秘めた熱を宿す、芯のある響きを奏でる。それはフェルトピアノの柔らかさでもなく、ジャズの即興性でもない、「自分らしさ」の追求の中で生まれた音でもあった。
ありのままの世界を祝福するように、聴く人の心にそっと寄り添いながら、風景を旅するピアニズム。4月にシンガーソングライター・青木慶則が主宰するレーベルから先行配信としてリリースされた1stアルバム『想いの消息』を入り口に、碧木莉歩の音楽の世界を訪れてみよう。
個性やジャンルを人にうまく伝えられないことに、ずっと悩んでいました
—昨年から始まったソロ活動は、シンガーソングライター・青木慶則さん(ex-HARCO)からのオファーがきっかけだったと伺いました。もともと碧木さんご自身もファンだったそうで、とても嬉しいお声がけだったのではないでしょうか。
「ソロ活動をやってみませんか?」というメールが届いたときは、とにかく驚きで、夢のような気持ちでした。「本当かな?」「私のことですか?」と、何度も何度も読み返してしまいましたね。

ちょうど自分の音楽に迷いがあった時期だったのですが、青木さんとの出会いをきっかけに、音楽をつくることが好きだった気持ちをぱっと思い出したんです。もう一度、自分自身と向き合いながら進んでいきたいと思えましたし、こうして1stアルバム『想いの消息』をリリースすることができたことを、とても嬉しく感じています。
—オファーが来る前は、ご自身の音楽にどのような迷いを感じていたんでしょうか?
自分の音楽について、個性やジャンルを人にうまく伝えられないことに、ずっと悩んでいました。私はいろんなジャンルの要素を取り入れながら曲を作っているので、「ジャズピアニストです」とか「クラシックのピアノを弾いています」とは言い切れなくて。サポートや、当時のバンドでの活動に熱中していた時期もありましたが、ソロとしての軸が定まらないことは、作曲を始めた学生の頃からずっと感じていた迷いでした。

—「自分らしい音楽」について、今はどのように考えていますか?
今は、「ジャンルがないのが私なんだ」と思えるようになりました。青木さんとお話をする中で、たとえばネオクラシカルやイージーリスニングといったジャンルを土台にしても、そこにポップスや南米音楽など、これまで私が聴いてきた音楽の要素を組み合わせていくことで、それが”自分らしさ”になると気づいたんです。それまで感じていた迷いがふっと消えて、自分の表現したいことに、より深く向き合っていけるようになりました。
自然を見ていると、人間の心と似ているなと感じるんです
—音楽でどのようなことを表現したいと考えていますか?
よく「風景/自然と心」というテーマを考えながら、曲を作っています。今は新潟に住んでいて、窓の外には山が広がり、少し車を走らせると海にも行けるような、自然に囲まれた生活をしていて。もともと山登りが趣味だったこともあり、自然に触れることがとても好きで、自然や風景から感じたことを音楽にしたいと思うようになりました。

自然を見ていると、人間の心と似ているなと感じるんです。たとえば雲や風は常に動き続けていて、静かになったり、急に強く吹いたり、何とも言えない混ざり合った状態にもなったりもする。人の心も同じで、喜びや悲しみだけでなく、言葉では表しきれない感情がたくさんある。そうした心の揺らぎと自然の表情が重なる部分を、さまざまな風景のイメージを通して、音楽として表現してみたいと考えています。
—実際の自然に触れた体験が、楽曲のインスピレーションになっている感覚はありますか?
そうですね。でも、自然の中にいるその瞬間というよりは、家に帰ってからもう一度その景色を思い浮かべて、余韻に浸りながら曲を作ることが多いかもしれません。いざ曲を作りたいと思ったときに、あらためて頭の中に風景を描くというか。
アルバム『想いの消息』の1曲目「しずかな旅路」。自宅近くを歩いているときに感じた、5月の心地よい風を、左手の伴奏で表現した。風が体の内側までそっと入り込み、心の中を包んでくれるような感覚を、旅人が旅の途中で自然を全身に浴びながら歩いている情景と重ねて、曲を作り上げていった。
たとえば以前、栃木の湯西川温泉で行われた「かまくら祭」に行ったことがあって。小さなかまくらが遠くまでたくさん並び、そのひとつひとつにはキャンドルが灯されていて、とても綺麗な光景だったんです。そういう風景が、後になってピアノの前でふと思い出されて、音楽となって生まれている……そんな感覚はあるかもしれません。
静かな中にも情熱が秘められている感じも好き
—プロフィールには「中南米のネオ・フォルクローレにも影響を受けた」とありますが、そもそもネオ・フォルクローレとは、どのような音楽なのでしょうか?
もともとは「フォルクローレ」というジャンルが土台になっていて、アルゼンチンのミュージシャンに多く見られる音楽です。フォルクローレは、民族的な楽器や、今ではあまり使われなくなった楽器を使って、先住民の暮らしや自然の美しさを表現するために生まれた音楽ですね。そこにジャズやクラシック、ブラジル音楽など、別のいろんなジャンルの要素を取り入れながら新しく作りあげていったのが、ネオ・フォルクローレと呼ばれています。
—どのようなきっかけで、ネオ・フォルクローレに出会ったのでしょうか。
出会ったのは、8年前くらい前ですね。キケ・シネシとカルロス・アギーレのデュオ演奏をYouTubeで聴いたことがきっかけです。ちなみにそれまでは、キース・ジャレット、ミシェル・ペトルチアーニといったジャズピアニストや、フェビアン・レザ・パネ、ウォン・ウィンツァンなどのニューエイジを基盤とするピアニストをよく聴いていました。自分が表現したい“ピアノの音色”は、そうしたアーティストたちから少しずつ影響を受けて、形づくられてきた気がします。
アルゼンチンのギタリスト・Quique Sinesi(キケ・シネシ)のライブに、同じくアルゼンチンのピアニスト・Carlos Aguirre(カルロス・アギーレ)がゲスト出演し、デュオ演奏を行っている映像。
—ネオ・フォルクローレの、どんなところが好きですか?
聴いていると心地よくて、自然と情景が浮かんでくるところですね。カルロス・アギーレはパラナ川のほとりに住んでいるそうで、彼のピアノを聴いていると、ほんとうに遠くまで続いている自然の風景が浮かんできます。
アルバム『想いの消息』の4曲目「猫とティーカップ」。山の夕暮れにぼんやりと流れる雲を眺めているような風景をイメージして作られた。アルゼンチンのギタリスト・Quique Sinesi(キケ・シネシ)から影響を受けたフレーズやコード進行も随所に散りばめられている。
あとは、静かな中にも情熱が秘められている感じも好きなんです。「ここのコード、すごい!」という発見があったり、楽器の重なり方がとても鮮やかだったり。穏やかさと刺激の両方を感じられるのが魅力だと思っています。
—碧木さんの音楽からも、心地よさの中に秘められた静かな熱というか、メロディやハーモニーが丁寧に構築されている印象を感じて、なんとなくネオ・フォルクローレと通じる部分があると思いました。
ありがとうございます。たしかにネオ・フォルクローレも、即興演奏が主体というよりは、まず楽曲が根底にあって、途中にアドリブやソロが入ってくるスタイルなんですよね。そういうところにも影響を受けているのかもしれません。
碧木莉歩が他に影響を受けた音楽として挙げたのが、イタリアのピアニスト・Giovanni Allevi(ジョバンニ・アレヴィ)。イージーリスニングやクラシックの要素を含みつつ、肩の力を抜いて流すように聴けるところや、心の中で踊っているような情熱を感じさせるところに惹かれているという。
もし光がなくて、ずっと影のままだったら、今自分が闇の中にいることすら気づかないのかな
—今回リリースされた1stアルバム『想いの消息』は、晴れた日の昼下がりに、風でカーテンが少し揺れるのを感じながらコーヒーを飲んでいるような、そんな穏やかな時間に合う心地よい作品だと感じました。
嬉しいです。ありがとうございます。まさに、日常の中でふと聴きたくなるような、そんな心地よい音楽になれたらと思っていたので、そう言っていただけて本当に嬉しいです。
—タイトルの『想いの消息』という言葉には、どんな意味が込められているのでしょうか?
アルバム全体として、「静と動」や「光と影」、究極的には「生と死」といった正反対なものの間にある、さまざまな感情がふわっと浮き上がって旅をしているようなイメージが自分の中にあって。そこから、”人や物事のその時々のありさま”を表す「消息」という言葉に辿り着きました。
アルバムの表題曲である5曲目「想いの消息」
表題曲になっている「想いの消息」は、光と影のように相反する二つの感情が、水の中を泳いでるようなイメージで制作しました。混ざり合ったり、離れたり、また混ざりあったりしながら、ずっと共存しているような状態ですね。
よく「もし光がなくて、ずっと影のままだったら、今自分が闇の中にいることすら気づかないのかな」とか、逆に「影がなければ、光が差したときに、光を今みたいに実感できるのかな」と考えるんです。人間の感情に置き換えても、喜びがあるからこそ悲しみを感じるし、悲しみを知ってるからこそ、嬉しいことがあった時に心から「よかった」と思える。正反対の二つが共にあることは、自然なことだと思うんです。そんな感覚を音楽で表現したいと思い、この曲が生まれました。
—いまお話しいただいたような考えは、楽曲を制作していく中で徐々に形になっていったものですか? それとも、何か別のきっかけがあったのでしょうか?
そうですね……。一昨年、新潟の十日町にある「星と森の詩美術館」で、木村繁之さんの版画作品を観たことも影響しているかもしれません。色の質感がとても抽象的で、キラキラしてる部分がある一方で、少し影になっているような部分もあって。その絵を見たときに抱いたイメージが、音楽のインスピレーションにも反映されていると感じています。

あとは、日常的に人の気持ちを考えすぎてしまうところがあって。小さい頃から周りの人が何を考えているか様子を伺ってしまうことが多くて、目の前の人に対して気をつかいがちだったんです。でも、ここ数年は「考えすぎないようにしよう」と流したり、「そういう自分のままでもいいんだ」と思ったりすることも増えました。
—先ほど「正反対の感情が共存することが自然」と仰っていましたが、ご自身が感じた悲しい気持ちや影の部分に対して、「光だけの状態よりも感じられることがある」と、音楽を通して前向きに捉えようとされている印象を受けました。
確かに、そうかもしれません。悲しさとかネガティブな感情って、その瞬間はやっぱり辛いですけど、最近は振り返ったときに「あの影があったから、今感じられる光があるんだな」と考えられるようになった気がします。
楽曲の細かな表情と陶器の佇まいが、どこかつながっているような感覚もあって
—アルバム『想いの消息』は、全体的に心地よい雰囲気でありながらも、ピアノをしっかり弾いている印象がありました。何かサウンド面でこだわったポイントはありますか?
ピアノそのままの音がまっすぐ響くような、おおらかな音を意識しました。たとえばネオクラシカルの作品だと、フェルトピアノのようにこもった音色で表現されることも多いと思いますが、今回は初めてのアルバムということもあり、芯のある音を目指しました。あとは、聴いてくださる方が演奏者のすぐそばにいるような距離感も意識しています。
アルバム『想いの消息』の2曲目「この風は南から」。晴れた夏の日のような、開放感と清々しさを感じる楽曲で、かつて登った山の山頂から見た景色を思い浮かべながら作られたという。
—先行シングルでは、5曲すべて陶芸家・辻󠄀拓眞さんの陶器がジャケットになっているとお伺いしました。音楽と陶器のコラボレーションは珍しいと思います。取り組む中で、どんなことを感じましたか?
本当に光栄で、贅沢なコラボレーションでした。意外性がありながらも、楽曲の細かな表情と陶器の佇まいが、どこかつながっているような感覚もあって。聴いてくださる方にも、ジャケットから何かしらイメージを膨らませてもらえたら嬉しいなと思っています。


アルバム『想いの消息』の3曲目「スモールステップ」(写真左)と7曲目「都市霧のなかで」(写真右)の配信シングル・アートワーク。これまでの配信シングルにはすべて、佐賀県有田町に住む陶芸家・辻󠄀拓眞(青木慶則の親族)による過去の作品がアートワークに使われている。碧木莉歩が、自身の楽曲に合うものを選んだという。「スモールステップ」は、雪解けから少しずつ春へと向かう風景をイメージして作られた楽曲。「都市霧のなかで」は、アニメーション映画「アリーテ姫」に着想を得て、街のなかで生きる人々のそれぞれの人生を思い描きながら作られた。
辻󠄀拓眞さんの陶器には、有田焼の伝統を受け継ぎつつも、海外の絵画や美術から新たな視点を取り入れた、独自の世界観があると感じています。音楽と陶器という異なる芸術が重なり合うことで、またひとつの新しい作品が生まれる。その可能性を感じましたし、今後もこうした取り組みを続けていけたらと思っています。
自分の曲は自分自身でもあるし、宝物のような存在
—7月20日(日)には、1stアルバムのリリースライブが予定されています。会場に選ばれたumには、どんな魅力を感じたのでしょうか?

umさんは、昨年カルロス・アギーレの来日公演が行われたことがきっかけで知りました。調べてみると、尊敬するミュージシャンの方々がたくさん出演されていて、ずっと気になっていたんです。実際に下見に行ったところ、ピアノの響きや生の音をとても大切にされている空間で、ぜひここで演奏したいと思いました。

—どんな1日にしたいですか?
私にとっては都内での初ライブでもありますし、お越しいただくお客さまはもちろん、出演してくださるPaniyoloさん、根本さん、小松さん、会場のumさん、そして協力してくださっているUcuuuさんなど、たくさんの方が出会える場になると思います。そうした喜びやワクワク感を、お客さまにも感じていただけたら嬉しいです。演奏そのものはもちろん、演奏の合間の時間も、リラックスして心地よく過ごしていただけるような、そんな1日にしたいと思っています。
碧木莉歩がCDを持っている、Paniyoloの1st アルバム『I’m home』。包まれるようなサウンドや、音の間の空間を大事にしているような雰囲気が好きだという。全体的に洗練された印象がありつつも、子供の声が入っている楽曲「onigocco」などからはお茶目な印象を感じ、「キュンときた」と語る。
—とても楽しみにしています。最後に、今後の抱負について教えてください。
もっといろいろなことに挑戦していきたいです。今はメロディや伴奏がはっきりしている曲が多いのですが、これからはもっと抽象的な曲や、響きそのものを聴かせるような曲にも取り組んでみたいと思っていて。やっぱり自分の曲は自分自身でもあるし、宝物のような存在なので、これからもひとつひとつを大切に生み出していけたらと思っています。そして、みなさんの日常に寄り添えるような作品をお届けしたいです。
プロフィール
碧木莉歩
あおきりほ。ピアニスト。埼玉県出身、新潟県在住。ヤマハ音楽院東京校にて、クラシック、ジャズ、ポップスなど幅広い音楽を学び、2013年に卒業。現在はピアノ講師のかたわら、シンガーソングライターをはじめとする他アーティストのサポートや、東京在住時から続くバンド活動も行っている。現代のさまざまな音楽はもちろん、中南米のネオ・フォルクローレから影響を受けることも多い。2024年7月、シンガーソングライター・青木慶則(ex-HARCO)主宰のSymphony Blue Labelから、配信シングル「しずかな旅路」でデビュー。
執筆・編集:石松豊
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宮内優里
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『Ucuuu』は、穏やかな音楽のある生活風景を紹介するAmbient Lifescape Magazine(アンビエント・ライフスケープ・マガジン)です。
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