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斉藤尋己が探求する、情景のための音楽。「個性あるサウンドスケープ」をデザインする思考とは

2024.06.17

nanacoカードのキャッシュ音や、資生堂140周年記念ワールドワイドCMの音楽など、数多くの広告音楽を制作している作曲家・斉藤尋己。ピアノを中心とした自身による作品も複数リリースしている。

また2016年には、サウンド・ブランディング・エージェンシー『SoundscapeDesignLab』を設立。店舗やオフィス、ホテルなど様々な空間の音風景をデザインしている。

今回は2024年3月にリリースされたアルバム『Topophilia』を入り口に、作品制作への向き合い方や、SoundscapeDesignLabで実践するサウンドスケープ・デザインの思考について話を伺った。

田舎の風景というか、心の中にある原風景に憧れがあって

—『Topophilia』は、いつ頃から制作されていたのでしょうか?

4年ぐらい前からですね。以前からピアノのアルバムを作りたいというぼんやりとしたイメージがあって。コロナ禍に入って、一気に制作が進んでいきました。

斉藤尋己。10歳からクラッシックギターを始め、大学から作曲を学びピアノを弾くようになる。卒業後は広告音楽の制作や企業CIのサウンドデザインなどにクライアントワークとして携わる。その中で生まれた自分が表現したい音楽を、アーティストワークとして制作するようになる。

—アルバム制作は、どんな流れで進んだのでしょうか。

僕は音楽を作るとき、メロディーが降ってくるというよりかは、頭の中にある映像に音楽を当てるようなイメージで曲を作るんです。クライアントワークでもよく映像音楽を制作していて。今回のアルバムも、自分なりの情景に音楽を当てていきました。

斉藤尋己『Topophilia』。トポフィリアとは、地理学者・イーフー・トゥアンが提唱したギリシア語のトポス(場所)とフィリア(愛情)が合わさった言葉で「場所への愛」を意味する。斉藤はアルバムを「音楽と場所の間の独特な絆を探求する旅」とし、「心に残る場所の記憶を大切にするすべての人々に、感動的で心温まる体験を提供すること」をテーマとした。

例えば5曲目の『Eclosion』は、タイトルである「羽化」からイメージを膨らませました。人が住まなくなり古びた家の庭先の木にある繭(まゆ)が、夜明けと共に羽化を始め、生を謳歌(おうか)するように世界へ飛び立つ。対照的に、残された家はひっそりと朽ちていく…という感じに細かい設定が映像として出てくるんです。この積み重ねで曲ができていって、最終的にトポフィリアというタイトルを付けました。

—トポフィリアは「場所への愛」という意味だそうですが、斉藤さんには「愛着を感じる場所」はありますか?

実はないんですよ。僕は東京生まれで、祖父母も車で10分の距離に住んでいて。夏休みに帰省して縁側でスイカを食べる、みたいな経験を味わったことがないんです。だから田舎の風景というか、心の中にある原風景に憧れがあって。曲作りのときも、そういう憧れも込めて情景を描いているのかもしれないですね。

—情景はどんな時に浮かびますか?

曲を作ろうと思った時に浮かぶこともありますし、自分が出した音を聴きながら広がっていくこともありますね。例えば洗濯物にある子供服から子供の笑顔や幸せな空気を感じたりと、生活の何気ないシーンから音楽を感じる瞬間が多くて。

10曲目の『Smile』は、街での生活風景を思い描きながら曲を作っていった。曲ができた時に、生活している人達の笑顔や幸せな雰囲気が感じられ、『Smile』というタイトルになったという。

音は空気の振動なので、時間があることで初めて振動が波となり、波が伝わる空間があることで音になるんです。だから音を出すと、頭の中の映像空間が広がっていくんですよ。

—音作りとしても、しっとりとしたピアノの音で落ち着いた情景を描いている印象を受けました。

最近はフェルトピアノの柔らかい音色が好きですね。ピアノはサステインの長さというか、空間に音が広がっていく感じが心地よくて好きで。フェルトピアノは心の声じゃないですけど、一人一人に丁寧に話しかけている感じが気に入っています。

斉藤尋己『Improvisations Ⅱ – diary Vol.1』。クライアントワークの楽曲制作をする前に、ウォーミングアップとしてピアノを弾く中で生まれたアイディアを、音日記・piano diaryとして録り貯めている。これまでにアルバムとしても2作品リリースしている。

せっかく雰囲気のいいお寺なのに、みんなビニール袋でずっとカシャカシャ音を出してるんですよ

—SoundscapeDesignLabでは様々な空間の音楽を制作されていますが、この活動はなぜ始めたんですか?

斉藤が2016年に設立したサウンド・ブランディング・エージェンシー、SoundscapeDesignLab。サウンドスケープ(音風景)を思考の軸とし、音を用いたブランディングやサウンドコンサルティングを行う。最初にサウンドスケープという言葉に出会ったのは、大学受験の課題図書『サウンドスケープ その思想と実践』(著・鳥越けい子)という。

きっかけは東日本大震災ですね。あの時、テレビCMが全部ACになったじゃないですか。僕もACのCM音楽を2つ担当していて、自分なりにいい音楽ができたと思ってたんです。でもテレビ局には「うるさい」「もうACやめてくれ」という声が届いて。音楽は人を助けたり心を豊かにするけど、適量を超えると人を傷つけることを実感したんです。

そこからずっと、音楽でもっと人のためになれないかを考えていて。結果的に、サウンドスケープをデザインすることで社会貢献できると感じ、SoundscapeDesignLabを立ち上げました。

斉藤尋己『into my sounscape』。音の風景とアンサンブルするように楽器を弾くことを意識し、フィールドレコーディングした音の風景をスタジオで流しながら、鳥や風など自然界の抑揚に合わせて即興的にピアノを弾いたアルバム。サウンドスケープの思考はアーティストワークにも反映されている。

—サウンドスケープをデザインするとは、どのようなことでしょうか。

基本的に音が鳴っていれば何でもサウンドスケープなんです。音自体に良いも悪いもないので。でも騒音など、音の問題は現代社会で増えてきてるんですね。大きな音がするということは、それだけ人間がエネルギーを使っていて、環境に負荷がかかっているという意味でもあって。

例えば、京都のお寺を観光するときに自分の靴を持って歩くんですけど、ビニール袋に靴を入れることもあって。せっかく雰囲気のいいお寺なのに、みんなビニール袋でずっとカシャカシャ音を出してるんですよ。この袋を再利用可能な布袋にするだけで環境負荷も減るし、見える風景も変わる。こういうのもサウンドスケープ・デザインだと思っています。

—店舗や企業空間の音を作るときは、どんなことを意識していますか?

その空間に存在して当たり前になる、空気のような音楽を目指しています。365日ループしても飽きないというか。特定の強いメロディを入れずに、空間が持つ自然な抑揚に合わせながら、家具を配置するように音を置くイメージですね。

繊細なデザインに定評があるJewelry Brand「Lamie」の店舗音楽を、SoundscapeDesignLabが制作。ラフカット石を使用するなど原石本来の美しさを表現するブランドの特徴を、「自然のそのままの美しさを伝える」というメッセージに落とし込み、オーストリアの自然保護公園で録音した環境音とフェルトピアノで表現した。

環境音を使うことが多いですが、環境音だけだと音が耳に入らなくなることもあって。騒音も同じですが、人は無意識の内に不必要な音を聴かなくなるんです。だから空間の個性を印象付けたいときは、楽器の音を少しだけ入れています。

—空間ごとの個性は、どのようにデザインするのでしょうか。

ブランドの特性、企業が持つ歴史や理念を掘り下げて、音にストーリーを持たせて表現しています。最近はリラクゼーションと称して自然の音を流すこともありますが、それはただのサウンドなのかなと思ってて。

丸紅株式会社の新社屋における執務フロアの「Round」スペースのサウンドデザインをSoundscapeDesignLabが担当。近江商人の哲学や創業者理念を掘り下げ、かつて商人が近江から名古屋へと歩いた街道沿いの環境音を採集し、コロナ禍でオフィスに求められる有り様が変化する中、オフィス体験をより強固なものにした。

人間の脳にはエピソード記憶という機能があって、音が引き金となって記憶を思い出すんです。例えば風鈴も別に涼しい音ではなくて、音を聴いて「暑い日に風が吹いて涼しかった記憶」が浮かぶから、涼しく感じるんですよね。だから空間で流す音も、ストーリーがある音の方が強い体験として記憶に残りやすいと考えています。

「BELLUSTAR TOKYO, A Pan Pacific Hotel」の47Fに開業した「SPA sunya」の音空間をSoundscapeDesignLabがプロデュース。東京のサウンドスケープをテーマに、明治神宮の森や玉川上水などで収録された自然音をもとに、東京の歴史や文化の響きを表現した。

—こういったサウンドスケープ・デザインの考え方は、斉藤さんが実践しながら作ってきたのでしょうか。

基本はそうですね。でもアーティストワークで感じていた「音楽を消費物にしたくない」という気持ちも反映されている気がします。最近はAIによる楽曲制作も出てきましたが、チャートから消えたり広告期間が終わったりすることで音楽が聴かれなくなるのが、もったいない感じがして。

どうすれば音楽を長く大事にしてくれるかを考えていくと、やっぱりエピソードと紐づきたいんですね。好きだった人が紹介してくれたアルバムとか、忘れないですよね。だから長い目線での音楽を聴く体験をデザインしたくて、音風景について深く考えてきた感じがします。

「聴こう」と思うと耳が開いて、いろんな気づきがあるんです

—SoundscapeDesignLabのWebサイトに、「個性のある美しいサウンドスケープは失われ続けている」と書かれていました。

日本に限らず、どんどん消えていってると思います。世界中でインターネットや流通が発達したので、同じ洋服を着て、同じものを食べて、同じ音楽を聴けるようになってますよね。みんなスニーカーを履いているし、どんなお店に行っても似たようなヒットチャートの曲がかかっている。どこに行っても同じような音風景になってしまったんです。

斉藤が先日フィールドレコーディングをした奄美大島。昔は世界三大織物の一つ・大島紬を織る音が町中に聞こえていたが、今は減ってしまったという。こういった文化的なサウンドスケープも失われ続けている。

—個性ある情景を大事にしたいというのは、トポフィリアというテーマにも繋がってそうですね。

少しずつ繋がってる気はしますね。ビニール袋の話に近いんですが、京都でレコーディングしてると、最近はブロアーという落ち葉を掃除する機械の音が入るようになってしまって。これは燃料を使うものなので、大きな音を出すし、情景にも合わないんです。

でもある時、箒で落ち葉を掃いている方に出会って。「箒なんて珍しいですね」と言ったら「あんな機械なんて雰囲気壊すでしょ。私は絶対に箒しか使わないのよ」と。こういう感性が残る社会だといいなと思っています。

—箒は日本らしい音のイメージがありますし、より京都の情景に合ってそうですね。

落ち葉を掃く作業は大変なので、機械を使いたい気持ちも分かりますけどね。観光客も落ち葉のない状態を写真で撮りたいし。でもだからこそ、みんなレコーダーを持ったらいいのにと思いますね。

カメラを持つと「撮ろう」という視点が生まれるので、普段の風景が輝いて見えたりしますよね。レコーダーも同じで「聴こう」と思うと耳が開いて、いろんな気づきがあるんです。今はスマホでも録音できますし、多くの人がレコーダーをカメラのように持ち出したら、各地のサウンドスケープも変わっていくと思います。

プロフィール

斉藤尋己

音楽家。東京生まれ。10歳でクラッシックギターを始め、18歳から本格的にクラッシックの音楽理論を学ぶ。その後、日本大学芸術学部情報音楽コースに入学し、音響心理学、音響解析等を学び、実験的作品やオーケストラ作品などで作曲活動を開始。 卒業後は、映画・CM・TV・Webなどの多くのメディアに楽曲を提供する他、nanacoカードのインターフェイス音やYAMAHAの音源開発、企業CIなどのサウンドデザインにも携わる。また、ミラノサローネやJapan House London展覧会の会場音楽や、サウンドインスタレーションなどのアート作品を発表し、 様々なアーティストとのコラボレーションも積極的に行っている。2016年には自身主催によるサウンドスケープを思考の軸に据えたサウンドブランディングエージェンシーSoundscapeDesignLabを立ち上げる。

プロフィール

SoundscapeDesignLab

SoundscapeDesignLabは、東京を拠点に世界に向けて活動するサウンド・ブランディング・エージェンシーです。私たちはサウンド・スケープ(音風景)を思考の軸に、音を用いたブランディングやサウンドコンサルティングを行います。

活動領域は多岐にわたり、空間音響、施設内BGM、製品インターフェイス音、企業やブランドのCI・ロゴサウンドなどの企画/制作の他、サウンドを用いたアート作品、楽曲の制作や広告・キャンペーン等の映像、ショーやイベントへの楽曲・SE・ME提供なども積極的に行っています。

今、私たちの周りには音があふれ、個性のある美しいサウンド・スケープは残念ながら失われ続けている現状があります。その中で地域やクライアントがもつ個性的なサウンド・スケープを大切にすると共に、積極的にそのサウンド・スケープをデザインすることにより社会に貢献することを目指します。

執筆・編集:石松豊

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